山のエピソード集


小倉 勝


 小生が山へ行くようになったのは、三条実業高校へ勤務してからである。それまでは山などなぜ登るのか、その良さを理解し得なかった。
 学校へ勤務して3年くらいたった頃、故・箕浦先生が「夏休み中、君は暇そうだから女生徒について白馬岳へ行ってくれよ」と言われたのが最初である。それで毎夏、女生徒引率要員にされてしまった。それからは山岳部顧問でも無いのに、山の大会に図々しく参加させてもらった。
 ある秋の大会で、火打山登山のとき、歩いてばかりで、ゆっくり景色を眺めることも出来ないので、こんな登山などあるものかと反発心が起こり、帰りは道脇のヤブに入って茸を取っていたら、今泉先生が道で小生の出て来るのを待っていてくれた。小生は事情を話し先に行ってくださいと頼み、一人で悠々と遅れて笹ヶ峰牧場のテントに戻ったら、登山後の講評も終わりテントの収容をしているところであった。今泉先生曰く、小生に付き合ったため遅れ、講評の中で嫌味を言われたそうだ。
 「貴方は講評が済んでから来たので、よかったね」と言われ、穴があったら入りたいほど恐縮してしまった。
 そして三条工業高校へ移ってから、名前だけの山岳部顧問になったりしていたが、今は富山県へ帰った若島先生に誘われて、岩魚釣りへと転向してしまった。この岩魚釣りでは山の生活が多いに役立っている。高橋先生には、下着は毛糸のパンツ、毛糸のチョッキ。若島先生には、焚火、川の渡渉方法等を学んだ。
 この川の渡渉では初心者は必ず川への第一歩で、バッタリ前に倒れるのである。渓流の水は透明で川底がよく見え、深さも膝くらいで油断をする。ところが水勢が強く川底の石も滑る。おまけにリュックが重く、バランスを崩すのである。我々はニヤリと笑って、このビショ濡れを無視して、先を急ぐのである。
 初心者の中に、某先生の息子を若島先生が誘ったことがある。高三の彼は剣道部で体を鍛えているからと、簡単に考えて参加した。ある沢で若島先生が、彼に此の場所で釣れと指示し、自分は先へ行ってしまった。彼は大岩の陰で一人ジッと竿を出していたら、目前7〜8mくらい離れた対岸に、カモシカが水を飲みに現れ、彼は最初熊かと思って、大岩の陰で息を殺して震えていた。小生は少し遅れて追いつき、どうしたと事情を聞いてやったら、やっと顔色がよくなった。
 下田の山中では、よくカモシカに出会う。あるときなどは、目の前をカモシカが走りすぎたことがある。この時我々は4人で岩魚を釣っていた。渓流釣りでは一人ずつ順番に釣り、他の人達は川原の後方にさがって見ているわけである。その時上流より「パカパカ」と駆けて来る白い動物があり、我々4人とも竿をかついでポカンと見ていたら、カモシカの子供で、全身が白く目の周囲が黒いパンダのような顔で、目前1mくらいのところを走った。我々はこれをカモシカ競馬と呼ぶことにした。
 またある夏、奥三面川へ岩魚釣りに行ったことがある。早朝、我が愛車「スバル360」にリュックを乗せ、用意万端?高橋先生を迎えに行く。そして荻川の本間先生宅へ・・・。
 3人揃ったところでいよいよ奥三面川へ出発である。荒川に沿って走り、山形県の小国町から山越えで奥三面部落へ入った。そして、朝日連峰への登山道のひとつの入り口に車を止めて、キャラバン・シューズを履こうとしたら小生の靴が無い。車に積み忘れたのである。あとで妻から聞くと、玄関前に靴があり不思議だったとか。さあ大変、裸足で山道を歩くわけにゆかず困ったが、三面集落まで引返し一軒しかない小さな雑貨屋で、地下タビを購入し間に合わせる。
 三面小屋から登山道に別れをつげ、三面川の右岸を登ることしばらくすると、道が消えてしまった。仕方なく30mくらいの高さを、木の枝にしがみ付いて川へ降りる。そこは大きな岩盤の上であり、テントを張るには無理なところである。高橋先生は、ツエルトを上から垂れた木の枝にしばり付けて寝ぐらとし、小生と本間先生は、岩盤の中央の窪みにフライを直接掛けて寝ることにした。
 そして夕食、高橋先生は釣ったばかりの岩魚を焼いて食べようと、ツエルトの脇で火を焚き始めた。小生と本間先生は各々別のことをしていたが、パチパチという音で振り向くと、焚き火の火が崖際の枯草や枯葉に燃え移り、炎が上へ上へとあがってゆく。小生とっさに上衣を脱いで、高橋先生と必死で消火に専念する。やっと火が消えてほっとする。
 夕食後、寝袋に入って満天の星空を眺め、本間先生より星座の講義を受け眠る。翌朝、顔が蚊に食われて凸凹であった。
 さあ帰りであるが、釣った魚を焼いて、ラーメンの空き箱にぎっしり詰めて帰り、本間先生宅で分配しようとリュックからダンボール箱を出し、中を見たら岩魚にウジが湧いていた。この中には小生の釣った42pの岩魚も入っており、残念であったが全部ゴミ箱行きとなった。これにこりてその後、岩魚釣りはその日食べるだけの一人2匹、体長も25p以上と決めた。ああ岩魚に悪いことをしたと反省し、只々、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏である。
 またあるとき、釣った岩魚の腹ワタを出していた増田先生が、「わあー」と大声をあげたので、どうしたと覗いたら、小生がルアーで釣った岩魚の胃の中より、蛇が出て来たのである。本や話にはよく聞くが、まさか本当とは思っていなかったので、ビニール袋に入れて持ち帰り、学校の小生の机上に飾って置いた。また、腹の太った岩魚からは、よくモグラかネズミか判定しがたいものが出る。皆その岩魚を気味悪がって食べようとしないが、本間先生は平気で、消化されアミノ酸になるから何も気にすることなしと食う。そう言われてみると、もっともである。
 またある沢で、昨年まで渡渉できたところが大プールに変貌し、対岸まで30mくらい泳がなければならず、小生が先頭で、いざ行かんとよく見るとマムシがこちらに向かって泳いで来る。これはいかんと石を投げてマムシを追い払っていたら、体育の円山先生が、「俺が行く」とマムシを物共せず泳ぎ渡り、棒を拾ってマムシを打ち殺し3匹も並べてくれた。
 まだまだエピソードは沢山あるが、またの機会に譲ることにして、我々のウイーク・ポイントを列記して終わりとする。
 高橋小一郎先生は酒(残念ながらこの酒でヨイヨイになってしまった)、本間先生は蛇、増田先生は睡眠、小生は膝である。

※昭和56年発行「ライダース・イン・ザ・スカイ」15周年記念号掲載


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