15周年によせて


金子 達


 今年の3月下旬に高橋先生のお宅で、OBの諸君のヒマラヤ・トレッキングの報告があり、本当に久しぶりに高橋先生をはじめ多くのOB諸君に逢うことが出来ました。
 先生をやっていて嬉しいことは、卒業していった諸君の、自分を乗りこえて立派に成長した姿を見ることです。この夜もなつかしい顔に逢えたこともあるが、岳人として、社会人として立派に成長したOB達を見て大変嬉しかった。
 登山とは、単に山へ登って、下ってくるだけの行為ではない。トレッキングに出かけたOB諸君の話を聞いていると、ただヒマラヤの高峰を眺めて来ただけでなく、文化人類学的視点で、日本とネパールの文化・習俗の違いなどを実に良く見て来たなと、その成長ぶりを頼もしく思い、どんな報告書が出来るか楽しみになって来た。
 OB会が発足して15年になるという。15年前といえば、私が山岳部の顧問になった頃である。顧問になったとはいえ、技術的にはまったく無知だったから、当時の新入生(4回生)の平松・田中・志田・大関・川口などと一緒に高橋・今泉両先生から色々指導を受けた。
 初期の頃の部報を読みかえしてみると、あの時のこと、あんなことなど色々思い出されてくる。私にとっての思い出のベストファイブの山行は、@昭和40年6月、初めて山岳部の守門登山に同行させてもらったこと。A昭和46年8月、初めての長期合宿(朝日連峰)。高山植物が美しかった。今泉先生には申し訳ないが、平岩キャンプ場で虫にさされて、はれあがった先生の瞼が思い出される。B昭和44年8月、いまはなき佐藤末吉君も特別参加した夏山第2次合宿の尾瀬。少人数の山行だったけど、実にいい山行だった。C昭和44年10月、長崎国体に長谷川一良と高田高校の塚田と参加したこと。南国の山を満喫した。D昭和44年12月、冬山合宿で、粟ヶ岳の頂上に立てたこと。大感激でした。
 山ではまたよく歌を唄いました。部歌のようになっている「ライダース・イン・ザ・スカイ」や、渡辺五郎がよくハシを振りながら唄った「蔵王エコーズ」、修学旅行で行った京都の歌声喫茶の舞台で、川崎、破入、竹石らと唄った「シーハイルの歌」など、歌にまつわる思い出も多い。
 15年の間に買い集めた地図も多い。楽しくもなつかしい山の思い出と山仲間は私の貴重な財産である。

※昭和56年発行「ライダース・イン・ザ・スカイ」15周年記念号掲載


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