白馬・朝日連峰縦走記


今泉源太郎


 昭和39年の夏、開校2年目のわが三条工業山岳部は、大雪渓より白馬岳に登り、朝日岳を経て小川温泉に降りる5泊6日の縦走を実施した。
 参加者は1年生2名、2年生9名に顧問2名を加えて計13名を3班に編成する。
  CL・斎藤 勲(鈴木と長谷川が1年生)
  1班 L・金子徳三、SL・橋本誠一 鈴木 進、斎藤 勲(4名)
  2班 L・小柳政雄、SL・阿部 敏 広瀬光男、顧問・増村純夫(現直江津工業高校)、今泉源太郎(5名)
  3班 L・三村章司、SL・藤田敏弘 岡部 稔、長谷川晴一(4名)

7月28日(火)

 東三条(8:19)発、糸魚川より大糸線で信濃四谷(13:55)着。猿倉までバス、それから歩いて白馬尻(16:30)へ。この小屋は登山客でにぎわっていた。道のわきに幕営する。

7月29日(水)

 上天気である。朝の陽光にオレンジ色のテントが映えて美しい。山をバックに写真をとってから出発する(7:30)。緩やかなこう配の大雪渓をゆっくりジグザグ状に登ること2時間で雪渓が消える。ここが葱平(ねぶかだいら)である。このあたりよりお花畠の高山植物が目を楽しませてくれる。小雪渓にはほとんど雪がなかった。
 (10:30)昼食。登りのこう配は少し急になる。
 (12:50)村営小屋近くの幕営地に落ち着く。この小屋は大きくて郵便局も電話もあった。雪渓のとけ水をポンプで揚げていて、水は豊富であった。設営後、まだ時間が早いので連れだって頂上へ遊びにいく。なだらかな登りで20分位である。午後なのでうすいガスがかかり、眺望はあまりよくなかったが、暖かいので草地に寝ころがってしばし眠ったり、話をしたりして過ごした。

7月30日(木)

  第3日のコースは長いので、朝早く起きたのだが、炊事にてまどり、(7:30)出発。(8:00)頂上着。四囲を展望する。標高2933メートル、特に立山連峰の剣岳は見事であった。なだらかな尾根道を行く。右側は急峻な斜面で、やや後方にガスに煙った大雪渓が見えた。30分程歩くと三国境である。このまま行くと大池を経て蓮華温泉である。われわれは、左に折れて朝日岳に向かう。左側は広い谷で高山植物をしきつめた草地で、下方にきれいな水をたたえた長池が見えた。
 このあたりで雷鳥の一家族に会った。山に来たかいがあったと思った。(10:30)鉢ケ岳で昼食。(12:20)雪倉岳。途中にあった避難小屋は石を積んだ半地下式の低い粗末なもので、水場もないので泊まるには不便だろう。午後からはガスがかかり、気温も下がって来た。このコースでは、すれちがうパーティにはほとんど会わなかった。小桜原を過ぎ、朝日岳の登りにかかるころは、疲れが出ているところへ急な道で、声を励ましてがんばった。(16:50)朝日岳頂上。ほかのパーティもいたので、13名全員の写真がとれた。(17:15)避難小屋付近で幕営する。この日は10時間近く歩き、長い1日であった。

7月31日(金)

  (7:30)幕営地発。朝日小屋に寄り、前朝日岳を登る。夕日ヶ原のニッコウキスゲの群落が美しかった。イブリ山を経て、(10:50)ブナ平で昼食。どんどん下りを急いで北又谷へ出る。川面からは低いが、かなり長い吊り橋を渡って、(12:40)北又小屋に着いた。小さなおわんに入れた冷やしソーメンがおいしかった。(14:00)トラックに乗車、林道を50分で(14:50)小川温泉に到着。歩けば3時間半を予定していたので、トラックで楽であった。
 この温泉は古くからの湯治場で、自炊もできるようになっている。夕食後川向かいの露天風呂につかって疲れをいやす。うす暗いランプの明かりが趣があった。夜はゆっくり休む。1班のテントが何時までもにぎやかだった。

8月1日(土)

  (9:50)小川温泉発、バスで魚津市へ。午後、日本カーバイド工業魚津工場を見学する。ここは、私が29年3月までの6年間を過ごしたところで、カーバイド・塩化ビニルなどを製造している。広い工場の中をゆっくり見て回り、当時の同僚や上司と会うこともできた。約1.5q離れた海岸の木陰に幕営する。海で泳いだあとで、波打ちぎわのすぐそばに堀った穴の中の水で身体の塩気を落とす。地下水がどんどんわいてたまるのは驚きであった。

8月2日(日)

  6日目は帰るだけである。(10:11)魚津発。(16:46)三条着。全員元気に夏山行を終わった。

あとがき

  当時の計画書、メモとスライドを見ながら書いてみたのですが、何しろ19年前のことで記憶のあやふやなところもあります。紅顔の少年であった諸君の半ばにはその後会っていませんが、皆、立派な社会人でしょうね。増村先生には、たまにお会いすると、白馬の話が出ます。私も山に登らなくなってからもう12年、山に行けなくなると、若いころのことがなつかしく思い出されます。第2の故郷である魚津の地も、その後訪ねていません。修学旅行の車中より、富山湾や立山連峰をながめては、わずかに心を慰めていましたが、折りあらば再遊したいと思っています。

※昭和56年発行「ライダース・イン・ザ・スカイ」15周年記念号掲載


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