県央工業高校山岳部の思い出


旧顧問 宇佐美博康

 県央工業(三条工業)高校山岳部の顧問を10年間務めました。その間、部員やOBの方々との出会い、思い出がたくさんありました。その経験は今も私の財産になっており、県央工業高校山岳部の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。しかし、記念誌に掲載できるような気の利いた文章を作り上げることが不得手でありますので、夏合宿を中心に部の山行の思い出を幾つか紹介いたします。

1.1996年 夏山合宿

・山域 南アルプス 北岳・甲斐駒・千丈
・期間 7月23日〜27日
・メンバー 3年 加藤 坪田 2年 番場 沢口 金子 相田 1年 佐藤 高野 広瀬 小

顧問 吉田 金田 渡辺 宇佐美 桑原(三高)
宇佐美と1年生にとって初の夏山合宿。三工山岳部の夏合宿としては珍しく、インターハイの下見を兼ねた合宿となる。しかし、様々なアクシデントが発生し歴史に残る珍道中となった。
 キーワード 夜叉神峠〜広河原バス強行突破 脱臼生ビール事件 顧問発熱途中帰宅 甲斐駒の山中で「女が欲しい」と叫ぶ!(肝の座った1年生) 芦安の谷は死者の谷(金子は見た。金田Tは身震いした。)

2.1997年 夏山合宿

・山域 北アルプス 立山・竜王・五色ヶ原・薬師
・期間 8月18日〜22日
・メンバー 3年 番場 沢口 金子 相田 2年 佐藤 高野 広瀬 小柳 1年 小林 稲垣 原 山浦 
顧問 吉田 金田 渡辺 宇佐美
 インターハイで銀メダルを取った3年生の慰労を込めて、雄大な山域を余裕の日程で歩いた思い出の山行。しかし、顧問は相変わらず酒にただれた日々を過ごしてしまった。
 キーワード 初日が一番つらい別山乗越 抹茶シャーベット ブロッケン現象 落石を起こしたのは何と顧問(U)か! 一升瓶が半日で? 最後の晩は花火大会 顧問(U)の醜い裸体写真

3.なぜか1998年新入生歓迎山行

・山域 白山(村松)
・期日 4月29日
・メンバー 1年 早川 外山 3年 佐藤 高野 小柳 広瀬 2年 稲垣 小林 原 山浦
 昨年度のインターハイ選手が全員卒業し、新体制構築に向け新入部員の勧誘に熱が入った。2,3年生一丸となって1年生を拉致し、全天候運動場のクライミングボード付近に監禁したが、新入部員はたった二人だけ。(小学生かと見間違えるほどの体が華奢で童顔のH川と、京本正樹も真っ青な美形、しかし言動がやたらとスケベなT山)
 新入生歓迎登山が初体験のH川は、体育の授業で痛めた足を引きずりながら白山周回を果たした。最後は感極まって号泣。大袈裟だなと思いつつ、思わずもらい泣きしそうになった。その後、T山とともに立派な岳人に成長した。

4.1999年 夏山合宿

・山域 北アルプス 燕・大天井・常念・蝶
・期間 8月22日〜26日
・メンバー 3年 小林 稲垣 原 山浦 2年 早川 外山(進) 1年 齋藤 山井 安中 五十嵐 近藤 佐野 田中 外山(武)
 念願の常念山脈縦走。昨年は夏の天候悪化のため計画のみで終わった。今年度は大量の新入部員を迎えての試みである。果たしてどうだったのか?
 キーワード 中房温泉の地面が熱い 合戦小屋で青息吐息 燕山荘で限界 常念山脈は大展望台 徳本峠は遙かなあこがれ あの温厚な3年生たちが切れた? 山の新デザートフルーチェドリンク

5.2000年 夏山合宿

・山域 北アルプス 新穂高・槍・双六
・期間 8月2日〜6日
・メンバー 3年 早川 外山(進) 2年 安中 五十嵐 近藤 佐野 外山(武) 田中 1年 米山 坂内
 昨年大量入部の反動か、新入部員は僅か4人。それも1学期中には2人が去った。今年度のインターハイ会場が北アルプスなので下見を兼ねて、日本有数の鋭鋒、槍の穂先を経験させ、無表情で反応が乏しい1年生に山の良さを実感させるためこのコースに決定した。合宿は楽しく有意義だったが、その後のインターハイは宇佐美にとって監督として後悔に満ちたものだった。選手たちよ、許してくれ。

6.2001年 夏山合宿

・山域 八ヶ岳
・期間 8月19日〜21日
・メンバー 3年 田中 外山 安中 五十嵐 近藤 佐野 2年 坂内 米山 1年 森田 金子 長谷川 平田 渡辺
 吉田先生が引率できないため、八ヶ岳山域をのんびり巡る計画だったが、台風の直撃を受ける事態になり、メインの赤岳はあきらめ予定を繰り上げて帰校した。1年生のH川は体力不足で何度もバテるが、そう見られることを嫌い、歯を食いしばっていた。根性あり。

7.2002年 夏山合宿

・山域 北アルプス 蝶ヶ岳・徳本峠を計画して上高地・涸沢・奥穂高岳
・期間 8月18日〜22日
・メンバー 3年 坂内 米山 2年 森田 長谷川 平田 1年 石塚 佐藤 武藤 齋藤 蝶間林
 99年夏山合宿でやりきれなかった蝶ヶ岳〜徳本峠への思いが断ち切れず、部員をそそのかし、燕・大天井・常念・徳本峠に至るロングルートの計画を立てた。しかし、昨年同様夏の気候異変や部員の体力面の不安等があり、最後の最後になって入山口を上高地に変更し、蝶ヶ岳経由徳本峠とした。しかし現地で雲行きを見てさらに横尾から涸沢、奥穂高のルートに変更した。
 しかし部員はルートが変わってもお構いなしで、相変わらず楽しそうだった。天候もなぜか穂高連峰は晴れが続き、終始ガスに包まれていた常念山脈と対照的だった。

8.2003年 夏山合宿

・山域 尾瀬周辺
・期間 8月19日〜22日
・メンバー 3年 森田 長谷川 平田 富田 2年 佐藤 武藤 齋藤(圭) 蝶間林 1年 波塚 山村 岩崎 齋藤(英)
 この年の3年生に一人夏山合宿初参加の部員がいた。T田である。T田は1年時体重が95sもあり、山登りどころか日常の練習もままならない部員だった。トレーニング中自分の体重を支えきれず骨折をしたこともある。彼は体重の他、根性もものすごかった。山に行くとばてて弱音を吐く。しかし決して部をやめない。叱られても叱られてもやめない。部の練習以外に彼は自主トレーニングに打ち込み、3年間かけて体力面で他の部員に追いついてきた。学習面では元々他の部員の上を行っていたが、さらに努力を重ねた。1,2年時の夏山合宿は参加させなかったが、この年の夏合宿は彼の努力と、彼の部への功労に感謝するために計画したといっても過言ではない。
 夏合宿後、3年は引退したが、彼はその後も毎日トレーニングに参加し、卒業するまで天気図の書き方などを1,2年生に指導していた。

9.2004年 夏山合宿

・山域 五頭山塊
・期間 10月22日〜23日
・メンバー 2年 波塚 山村 岩崎 1年 川村(健) 川村(浩) 岡田 大山
 7月13日に三条市は水害に見舞われ、校舎は水没し学校設備は勿論、山岳部の備品、資料が水をかぶり大損害を被った。インターハイ島根大会では全国の仲間から支援と励ましを受けて大変感激した。インターハイの準備をしながら学校の後かたづけに奔走した3年生を始め、部員たちにはただただ頭が下がる思いである。
 そんなことがあり、夏合宿は簡単に済ませようと、白馬を計画していたが白馬の雪渓上部で土砂の崩落による遭難事故が発生したため、夏山合宿自体を断念した。
 夏合宿を経験できなかった1年生を強化するため、夏以降何度か小さな宿泊山行を行った。
 秋山合宿もその一環であった。秋山合宿の2日目、松平山から五の峰まで縦走してスキー場に下山した。山中は不気味なほど静かで動物の気配が感じられない。しかし部員とキノコ取りに興じたり、山頂から越後平野を見下ろし、「この山と平野は大断層で区切られていて地震の巣になっている。」などといったことを偉そうに説明した。帰路、96〜98年度頃に活躍したOBから「巻機山の家に着いた。これから宴会をする」と連絡が入った。その日の夕方、その断層帯の南部を震源とした大地震が発生した。酒に酔ったまま小屋の下敷きになっただろうと勝手に想像し、思わずOBらの冥福を祈ってしまった。

10.2005年 夏山合宿

・山域 北アルプス 太郎平・黒部五郎・双六岳
・期日 8月22日〜25日
・メンバー 3年 波塚 山村 岩崎 2年 岡田 岡村 川村(浩) 川村(健) 大山
1年 皆川
 前年、夏合宿を経験していない2年生には、必ずいい夏山を経験させたいと強く思っていた。2年生は体力があるし意欲的だが、義務感で活動しているような印象が拭えなかったからだ。
 この夏は昨年以上に気象が異常でいつまでも梅雨の如く、雨天続きだった。勿論夏合宿中も。せっかくダイヤモンドコースと呼ばれるいいコースを選んだが、初日は豪雨、登山道は激流。2日目、雨時々曇り。3日目、雨のち曇りのち雨。天気は回復しているように見えるが、台風は確実に接近している。部員はかなり消耗しているし、双六小屋で下山を決意。合宿中ほんの一瞬しか槍・穂高の勇姿は拝めなかったが、部員たちにとってどんな山行だったのだろう。インターハイのコースがあまりに残酷であったため、そんなに不満はなかったのだろうか。

 この年で私の勤務年数は満了に達し、翌年、現任校に転勤しました。今はサッカー部顧問をしています。来年度は是非現任校の山岳部顧問に就き、山に復活したいと思っていますし、できることならいつの日か、もう一度県央工業山岳部に戻り、生徒とともに夢を紡ぎたいと願っています。

県央工業高校山岳部万歳!!


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