山岳部顧問在任中の思い出


佐藤 貢

 この度、新潟県央工業高校山岳部OB会が40周年記念誌を発刊されますことは誠にご同慶の至りです。
 さて、私は1987年から91年までの5年間顧問をさせていただきました。その頃の校名はまだ三条工業高校でした。以下、当時の思い出を2・3記してみたいと思います。

 ある秋の巻機山行のことです。私は初めて巻機山の家に泊まりました。山間地の狭い田圃に建つ二階建ての小さな山小屋で、中にカメムシが一杯入っていました。薪ストーブを囲み顧問同士で夜遅くまで山談義をしたことを懐かしく思います。
 翌日、生徒を引率して登ることになり、どのくらい短時間で登れるのか試してみようと思いました。駆け登り駆け下りたのですが、幸い転倒して怪我をしたりした生徒は一人もおらず、一般的な所要時間の半分から三分の二くらいだったと記憶しています。今思い出しても愉快です。
また、春に巻機山塊の威守松山に登ったときのことです。まだ残雪が多く、尾根に取り付く斜面は急で、尾根は細く、最後は急な登りでした。尾根のマンサクの木が黄色いつぼみを一杯付けていました。

 夏山合宿で立山に行ったときのことです。剣沢小屋近くのテント場で寝ていると、次第に風雨が強くなり、遂にテント内が水浸しになりました。立ち膝で立ち、必死になって背中でポールを押さえ、テントがつぶされないようにしていました。
 風雨が弱まった間を見計らって霧の中テントを撤収し、別山乗越を経由して室堂平に下山しました。下りは稜線で判断するよりもずっと時間がかかりました。

 弥彦や笠堀ダム奥地で沢登りや滝登りを経験したことです。弥彦では初めて草履を履きました。水に浸して岩に叩いてから履くことを学びました。沢の最後は急な滝になっていて、ハーネスを着けて確保してもらい登りました。滝を登り終えてからは急斜面のやぶこぎとなり、これが終わると夏道の一般登山路に出ました。
 また、笠堀でも滝登りがあり、下山は別の地点から懸垂下降で下りました。恐怖心でザイルに体をあずけることができませんでした。
 2回の沢登りを通して貴重な経験をさせていただきました。

 結語。三条工業高校山岳部についての一番の印象は、年間の山行日数が非常に多いことです。これではインターハイ県予選で常勝なのも当然だとうなずけました。
 山岳部のますますの御発展と御活躍を祈念し、顧問在任中の思い出の一端といたします。


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