40周年によせて
金子 達
私が山岳部の顧問になったのは、昭和41年のことです。当時は大島先生・今泉先生・高橋先生というベテランの顧問がおられたので、私は何の心配もしないで行ったことのない所へ行けると、毎回の山行が楽しみでした。
肝臓を悪くして一時、山登りのできない時もあり、カクレ顧問のようになっていたこともあったので、私が正式に顧問だったのは何年までだったのか自分でもよくわからなくなっています。
最近は学校の部活動中の事故の責任問題が騒がしくなっていますが、私の顧問をやっていた時に大きな事故が無かったのはラッキーでした。
残念だったことは、インターハイ県予選では毎回3位だったことです。