OBの近況報告


OB会40周年記念誌への近況報告アンケート

@在部中の一番思い出深い山はどこですか?その理由は?

A最近、山に登っていますか?年に何回くらい?良かった山は?

Bいま、登ってみたいと思っている山はどこですか?その理由は?

返信のあったものを以下に順不同で紹介します。

斎藤 勲  昭和41(1966)年 三工1回卒

@1年生、苗場山(今は亡き大島先生が顧問でした)。2年生、白馬〜朝日岳の夏山合宿も思い出深いものがありますが、3年の時の飯豊連峰縦走が一番心に残っています。
高校の時の目標としていたし、1年生のG・W氏がテントを持ったまま汽車に乗り遅れ、おかげで、頼母木平では這い松の中で星を見上げながら寝られました。

A退職してからは、晴天を狙って登れます。
山行日数は、鋸山、白山、米山等の里山も含めて、年に40〜50日位。
良かった山は、やはりネパールの山々。標高が高いため、美しさと厳しさが格段に違います。
日本の山では、岩登りを止めた今でも、穂高、剱、谷川が一番です。残雪の中の黒々した岩壁を見ると心が躍ります。
越後の山では、魚沼三山と飯豊の残雪期。山の中に長時間浸かっていられます。

Bお金があれば、ネパールの山々。その美しさは何度でも行く価値があります。

日本の山では、穂高、剱、谷川、魚沼三山、飯豊。日本では一級の山岳です。

金安 武  平成5(1993)年 三工28回卒

@巻機山。入部して一番最初に登った山だから。

Aここ近年登っていません。

B今現在ありません。

OB会結成40周年、おめでとうございます。これからも伝統あるOB会でありますように心から祝福したいと思います。

石田  孝  平成2(1990)年 三工25回卒

現況、8才、4才、2才、3人娘で毎日大騒ぎです。(戦場です)

鈴木 泰正  昭和43(1968)年 三工3回卒

(金子先生宛 年賀状による)
当地で開催される「指宿菜の花マラソン」完走を目指して頑張っています。
開聞岳に昨年は4〜5回登りました。

小出 一雄  昭和47(1972)年 三工7回卒

@1年の夏休みの2次合宿で行った尾瀬です。夜行列車で行って眠いのを我慢して登った燧ヶ岳や、至仏山から湯の小屋までの長い下山コースが忘れられない思い出です。

A最近は回数が減ってきて年2・3回程度です。県内の山では火打山が眺めが良くていつ行っても好きな山です。

B10年近く南アルプスへ登ってないので、機会があれば行きたいと思っています。

OB会結成40周年ということですが、私も今年で卒業してから35年たちました。まさに光陰矢の如しです。今から思うと、入学当時は体も小さくて体力もなかったので、最初は毎日の練習についていくのがやっとで、1年の時に登った守門岳で下山して吉ヶ平から遅場までの道中の長かったこと、八海山でバテたこと、夏山合宿の飯豊連峰で稜線までの登りのきつかったこと、尾瀬に行って眠いのを我慢して燧ヶ岳に登ったことが一番思い出に残っていて、楽しかったことよりも苦しかったことが今でも忘れられない思い出です。
最後に部員が1人ということで、部活のほうもなにかと大変だと思いますが、山岳部がこれから再び活躍することを祈念しています。

市川 正和  昭和45(1970)年 三工5回卒

@巻機山。山頂付近辺の風景(特に池)

A現在はほとんど山に入っていない。

B定年過ぎて余暇が出きたら、新潟近辺の山に登ってみたい。

入社以来、圧縮機のアフターサービス(AS)の仕事一筋できましたが会社の社名で5回の変更(特に最近2回変更)と住所変更は入社時から5年で5回変更とたいへんでしたが、最近やっと落ち着き「ホッ」としています。
尚、近況は(AS)のため、国内外と言わず10日〜15日/月は出張作業で顧客廻りをしています。特に大物は海外案件となり海外の仕事が増えています。たまには山にも入りたいと思いますが定年までは無理と考え、諦め、OB会(東京部会)を手伝っています。本年の総会は2月24日(日)です。是非山岳部のOBも多数参加下さい。

山村 昌久  平成18(2006)年 県央工2回卒

@巻機山と白山。合宿とはじめての山だから。

A弥彦山に5回登りました。

B槍ヶ岳。約束を果たしていないから。

私は元気です。大切な人ができました。不思議な人です。というのも出会った頃からやはり不思議な「縁」めいた何かを感じたからです。大切にしたい実感です。(向こうの人も同じような気持ちだそう)本当に不思議です。今、この人とすごす時を大事にしたい。それが欠席の理由です。
来年の総会には出席したいと思っております。わがままを言って申し訳ありません。

氏名不明(平成19年12月24日三条局消印)

@巻機山。景色が一番印象に残っているので。

A卒業してからは一度も登ってないです。

B巻機山。キツかった印象もなかったので、ここなら体力的にもいけるんじゃないかなと・・・
あとは、またあの景色が見たいから。

山岸 英夫  平成2(1990)年 三工25回卒

30代になって会社でも中間のポジションになりかなり大変です。

想い出は、山の頂上までは着きそうでなかなか着かない。お昼の菓子パンがのどに詰まりそうなくらい疲れた。学校の屋上からザイルで降りたり、今想い出すと毎日部活よくやっていたなと自分自身に感心します。

山の目標は頂上をめざすこと。今は目標をみつけることができず、毎日会社でその日の仕事をしている感じです。

近藤 秀峰  平成4(1992)年 三工27回卒

@飯豊山。(アルプスのような人々の賑わいがなく、静かな山だから)

A最近は下界の生活が忙しく、山はご無沙汰しております。

B富士山。(未だ日本一といわれる山に一度も足を踏み入れた事がないので)

連絡が遅くなりまして大変申し訳ありません。当日、仕事のため今年は欠席とさせてください。
長女(沙和)が来春小学校に入学します。私含め妻子共々元気で頑張っております。また来年機会がありましたらお会いしたいと思います。

番場  誠  平成10(1998)年 三工33回卒

来年で会社に入って10年たちます。まだまだですが、日々がんばっています。また、バイクでツーリングに出かけることが大好きで、今では1000ccのバイクで、休みを見つけては北へ南へ走りまわっています。
山岳部での想い出では、全国大会出場もそうですが、今でも集まって山岳部時代のくだらない話ができるすばらしい仲間たちに出会えたことかな!!

渡辺 五郎  昭和43(1968)年 三工3回卒

@思い出深い山行は数多くあるが、3年生の時(1967年4月28〜30日)に2泊3日で行った守門〜烏帽子岳の縦走である。すばらしい袴腰と烏帽子のコルでの雪洞作りと星を眺めながらのキャンプファイヤー、3日目の烏帽子からの高低差400mのグリセードが忘れられない。

B東北の山々。秋田や岩手の静かで自然が豊かで方言があたたかい。

生活の場:福島県田村市・・・阿武隈山地のほぼ中央で里山に囲まれています。
年齢:58歳・・・一般的な定年迄あと2年だが、まだまだ働きます。
家族:妻、子供2人・・・晩婚でしたのでいまだ2人とも学生です。
年間山行日数:年間約45日。この内約半分が積雪期から残雪期での山スキーです。皆さんから笑われるかもしれませんが、雪山夏山とも意識してもっと早くと登高時間のスピードを意識しています。
最近の山行:10月2〜3日は船形山と岩手県の裏岩手でした。13〜14日は秋田県の和賀山塊の日本一と言われる巨樹、ブナの拝観と田沢湖の見える羽後朝日岳でした。21日は妻と2人で奥羽山脈の南端と思われる猪苗代湖の近くの笠ヶ森山に行き山葡萄を約2キロ収穫、山葡萄酒に仕込みました。
絶えず身体を動かすようにしています。
楽しみな山スキーのため、今度の冬は昨年のように小雪にならないように祈っている毎日です。

高山  光  昭和63(1988)年 三工23回卒

@巻機山、春山合宿。 入部してはじめての山らしい山。ニセ巻のキックステップ怖かった。

A子供ができてから全然いってない。

Bどこでもいいが行きたい。

OB会40周年 おめでとうございます。
自分は23回生として約半分、20年経ちました。
4歳と2歳の子供をかかえてると、山行はまったくできません。子育てから解放されてどこでもいいから山へ行きたい!なんて時々思います。いつかその日が・・・いや、子供と一緒に行ける日を夢見ております。
しかし、最近は特に“登る山”より“生活の山”へ興味が移ってます。2007年9月には念願の田舎暮らしということで、旧下田村で生活をはじめました。薪ストーブ入れました!
しばらくは“里山”にかかわっていく生活を楽しみたいと考えております。
でも、やはり山スキーや沢登りしたい・・・なあ・・・。

斎藤 圭太  平成17(2005)年 県央工1回卒

@巻機山。夏・春の合宿。

A全然登ってないです。

B特にないです。

元気で過ごしてます。
仕事も勤めて2年になりやっと慣れてきたように思います。

波塚 哲也  平成18(2006)年 県央工2回卒

OB会はスケジュール合わないので欠席します。

松井 英樹  平成3(1991)年 三工26回卒

@「近況と思い出」に書いたとおり飯豊山。

A昨年は7〜8回位。唐松岳に行った時、夕焼けの日本海と立山がきれいでした。

B白馬岳。途中の温泉に入ってみたいので。

近況・想い出
山岳部在籍時の想い出で未だに印象に残っているのは、夏山合宿、特に1年生の時に行った飯豊縦走です。合宿の日程は4泊5日でしたが、それまでの人生で5日も歩き続ける事など無かったので、初日は不安でしたが、4日目の夕方に予定より早く下山した時は本当にほっとしたのを覚えています。
しかし飯豊の山の様子はあまり覚えていないので、人にどうだったか聞かれた時は答えに窮するのですが・・・。
現在も2泊3日程度の山行をする事がありますが、やはり無事下山できると意味も無く笑顔になり緊張から解放された気分を味わえるので、そんな時は昔の事が思い出されます。
短文ですがこれにて失礼します。

近藤 禎一  平成14(2002)年 三工37回卒

現在、金沢工業大学大学院電気電子専攻として学生生活を送っています。研究しているものはER流体という電気で制御できる新機能性材料です。英語が苦手なのに来年の6月にカナダのバンクーバーで開催される国際学会に参加するので、研究、勉強、就職活動で毎日忙しいです。
ヒザを手術した年にリハビリとして弥彦山に登ったのを最後に、山には登っていません。
金沢工業大学に見学に来たいという生徒がいたら、いつでも連絡してください。

片野 新太郎 平成6(1994)年 三工29回卒

連絡遅れてすみません。先生、元気ですか?
こちらは悪いこともありますが良いこともあり、家族元気に暮らしています。寒くなりましたが、愛車の初代RSでフルオープンで走ることが楽しみです。山には登っていませんが、風をうけて走っていると山にいた時を思い出します。
上杉・蝶名林・長谷川・坂井・山崎元気かー?!

阿部 孝幸  昭和54(1979)年 三工14回卒

長男の野球応援に夫婦ではまってしまい、山は年1回となっています。

高校にいっても野球をするらしいので、しばらくは追っかけが続くと思います。(親バカです)
でも、せっかく購入したテレマークスキーのエッジが錆びないよう、山スキーにも出かけたいと思っています。

佐藤 大地  平成11(1999)年 三工34回卒

卒業後、日本通運(株)に入社して今も頑張って働いています。
三工山岳部に入って吉田先生と出会い人生が変わりました。今、仕事をして大切な家族・仲間を持て楽しい人生を送れている事は、山岳部があってそこに自分が居たからだと思っています。
・・・そろそろまた山に登りたいですね。

高野 雄一  平成11(1999)年 三工34回卒

@巻機山。景色の素晴らしさや仲間達との思い出が多いから。

A登っていません。

B巻機山。思い出話などをしながら登りたいから。

ナシモト工業株式会社に勤務しています。
一番印象に残っている山は、初めて行った長期合宿の南アルプスです。
その合宿があったからこそ3年間部活を続けてこれたと思います。
そして一番の思い出は、苦しい時も楽しい時もすべてを分かち合える仲間達や先生に出会えた事です。本当に感謝しています。

小林 幸夫  昭和46(1971)年 三工6回卒

@2年生で入部し歓迎登山で行った粟ケ岳です。朝食もとらず出発したので、途中で這って登っ
て頂上ではすっかり忘れてしまった。その時は、もう山岳部は無理と思ったが山が好きになった。

A一番最近では、鳥海山の途中まで。家内と2人で行って来ました。

B色々有りますが、三条の粟ケ岳とやはり富士山ですね! 富士山は1回登った事があるので、できれば家族で行きたいです。

40周年まことにおめでとうございます。最近はあまり山行には時間がとれません。今年08年は少しでも行ける様にしたいと思っている所です。
卒業して37年があっという間に過ぎた感じです。
在学中の山行の思い出は、まず2年生になって山岳部に入った事です。他にも3人いっしょに入って部員が急に多くなり、活気が出て毎日のトレーニング、山行の準備、天気図の書き方など、今まで知らなかった色々な事ができて楽しかったです。
在学の2年間に何回山へ行ったのか数えたことは有りませんが、夏休みの合宿、冬の山行などつらくきびしい山行も思い出です。冬山では私だけ指を凍傷になり、テントの中でお湯で暖めたり特別にお酒を飲ませてもらったりしました。あと、夏休みはアルバイトをして旅費や道具を買う金にあてていました。冬のヤッケも買えず、金子達先生より青いヤッケをもらったのを今でも大事に持っています。ありがとうございました。
山行の時は、私は川崎(現・吉田氏)の後を登っていて、時々、川崎の“オナラ”がとてもくさい事でした(?!)。これも楽しい思い出です。
在学中、山岳部に置いてもらって他の部とは全くちがう所が良い所だと思います。
(最後に吉田さん今まで大変ご苦労様です。今後もヨロシク)

長谷川 孝義 昭和57(1982)年 三工17回卒

@巻機山

A最近まったく登っていません。

B特にありません。

長谷川 晴一 昭和42(1967)年 三工2回卒

@1年生の時の夏山合宿。白馬→朝日。はじめての北アルプスでした。

Aここ2・3年、頂を目指してという登山はありません。

B弥彦山塊。自然散策で十分満足です。

永井 良文  昭和44(1969)年 三工4回卒

@後立山

A年1〜2回。
最近、歳をとったらメタボリックになり体重が増えてますので、年とはいわず月1〜2回、山行し
たいと思ってますけど、なかなか仕事の関係で時間が取れません。月の半分が海外出張で韓国・中国に行ってます。2008年は出張を少なくして山にいこうと思ってます。

志田 俊雄  昭和42(1967)年 三工2回卒

@谷川岳:一番多く登ったかな?一ノ倉沢、幽の沢には憧れた。

A年に数回:北アルプスが中心。白根三山は良かった。

B南アルプス方面に行きたいが山が深くて!!

40周年を迎えて、第2回生の私にとっても、色々な面で大きな節目を迎えつつあります。
金沢での生活も35年余、すっかり根が生えてしまったようにも見えますが、時に400年の伝統に触れ、まだ新参者と感じる事も有ります。この歴史ある町並みの中に自分の手による建物が少しずつ増え、自己満足していた仕事の方も、4月で第一線を退き、後輩へのバトンタッチという立場に回る予定です。新しい第3の人生、違う価値観の生活を模索して、再スタートするつもりです。
10年ちょっとまえ、バブル崩壊の後に、仕事面で多少の余裕が生まれる様になりました。しかし、同時に身体も軋みが・・・一念奮起、朝、少し早起きして会社へ行く前に1時間ほど歩く事にしました。歩きながら、考えてみたら、スポーツやアウトドア関係から、随分、遠ざかっていたことに気付きました。4〜5ヶ月歩いて、多少、身体も軽くなった頃、夏休みで帰ってきた息子を伴って、白山に登りました。帰ってきて、2日程、動けませんでしたが、それまで眠っていた山岳部OBの血が目覚めました。
立山、剱、白馬、鹿島槍・・・比較的近い立山・北ア方面を皮切りに、登り始めました。
秋から春にかけては、OFFシーズンで長〜いトレーニング期間。暖かくなった7月から9月頃にかけて連休を確保して、年に2〜3回のマイペースで歩き続けています。一時は、どこかの会に所属してとも思ったのですが、直近にならないと予定が組めず、キャンセルも多いのです。うまく会社の人達と一緒できたり、予定外に一段落して一人で登ったり・・・。でも、この10年ほどで北〜中央〜南アルプスにかけての主だった山は、ほとんど登って来ました。3000m以上の山は南アルプスの一番深い山の4〜5峰を残すのみのところまで来ました。
多くの山が、富山県・長野県・岐阜県の3県に集中しており、直ぐ近くに住んで居ながら、その良さに気付くのが、ちょっと遅すぎたかなと思っています。2〜3年前より、女房が同行するようになり5月からの新しい第3の生活では、もう少しゆったりとした山登りと、ちょっと遠くの山への遠征も考えています。OBの皆さん、もし合致するようであれば誘って下さい。

猪熊 尚洋  平成3(1991)年 三工26回卒

@初めての長期山行となった飯豊連峰、重荷合宿に泣かされた粟ヶ岳、インターハイで行った宮城蔵王・・・どれも甲乙つけがたいです。スミマセン。

Aてんで登っておりません。

B初夏の巻機山。ニセ巻の上の清涼な雰囲気をもう一度・・・。

県央工山岳部OB会40周年記念誌発刊おめでとうございます。
卒業してからは、もっぱら健康維持のために弥彦と角田に登るくらいです。OB会も数えるほどしか顔を出さずすみませんが、また時間をとってお邪魔させていただきたいと思っております。
これからも、輝かしい足跡を刻み続けてくれる事を期待します。

佐藤 智哉  平成17(2005)年 県央工1回卒

@秋山合宿の火打山。高谷池ヒュッテ周辺の紅葉が最高でした。

A最近はほとんど登っていません。

B秋になったら、火打山に登ってみたいです。紅葉がまた見たいです。

近況:社会人として働きだしてまもなく1年が経とうとしています。やっと正式な配属が決まり、仕事にも慣れ始めてきました。これからも日々努力し社会のために貢献していきたいです。
思い出:やはり島根で行われたインターハイに出させてもらったことが思い出です。
大会前、水害が発生し、計画書や装備が水に浸かり、物凄く大変でした。もちろん、計画書は書き直しで大会準備と装備の洗浄を平行して行い、とてもバタバタしてた記憶があります。大会の方は3泊4日のホントに辛い日程でしたが、リタイアせずに4人で登りきることができてよかったです。
高校時代の一番の思い出です。

川井 正幸  昭和63(1988)年 三工23回卒

@全てです。ひとつに決められない。全てが良い思い出です。

A0回/年

B特になし。

田中  実  昭和44(1969)年 三工4回卒

@谷川岳。雨で体が冷え1年生だった頃、辛かった。

A全く山行はありません。家内が少しずつ同行するようになるのを期待しています。

Bいまからでは遅いかもしれませんが、家内と一緒に日本百名山。元気でないと出来ませんからね。

小林 俊郎  昭和42(1967)年 三工2回卒

@谷川岳。他の高校と初めて合同で行った事。また世間で言うより一般ルートはやさしかった。

A否

B山登りではないですが、アメリカのロッキーを見てみたいです。

申し訳ありませんが、今は山行とは全く縁がなくなりました。
それでも山の事故などがあると気になります。特に熟年者の事故が最近多い気がします。
毎回部報を送っていただいてありがとうございます。

原  卓史  平成12(2000)年 三工35回卒

@巻機山です。理由は小屋に水が引いてあるあの水が美味しかったからです。夏も冬も経験したので一番思い出深い山です。

A最近は登っていません。

B登ってみたい山はやはり巻機山です。理由は中越地震の時に巻機にいて、次の日登れずに帰ってしまったので次こそは登りたいと思ったからです。

岡   武  昭和58(1983)年 三工18回卒

@石小屋沢。沢で遊んだこと。

A年に3回くらい。会津駒ヶ岳。

B槍ヶ岳。見た目が良いので一度は登ってみたい。

徳橋 弘倫  平成2(1990)年 三工25回卒

@1年生の時に登った立山・剣岳です。あの時の暴風はいい思い出です。

A最近は全く登っていません。

B特に有りません。

小森 行也  昭和49(1974)年 三工9回卒

@「飯豊山」。三工山岳部に入部し初めての夏合宿。大熊小屋から?差岳に登る途中、高橋先生に気合いを入れられ、なんとか乗り切ることができた思い出の夏合宿です。2005年8月、34年ぶりに登ってきました。山が深く、すばらしいところでした。

A現在も四季を問わず1月に1回のペースで登山を続けています。最近登って良かった山は、2007年9月に登った早月尾根からの剣岳です。剣岳は、春夏秋冬の四季を通じ登ったことのある数少ない山の一つですが、何時訪ねても感動する山です。

B赤木沢から雲の平。北アルプスで最も美しいと言われている赤木沢を遡行した後、雲ノ平にある雲上の温泉でのんびりしてみたい。

大山 岳宏  平成3(1991)年 三工26回卒

@やはり蔵王連峰(蔵王山)です。3年生の時に出場したインターハイの会場が蔵王連峰で、ここでの体験は非常に感動的なものでした。今でも、強く心に残っています。

A最近は全然登っていませんが、3年ほど前までは、月2回程度のペースで、弥彦山に登っていました・・・。
B過去に一度登ったことがあるのですが、もう一度、富士山に登ってみたいです。

富士山は、自分が山岳部に入るきっかけを作ってくれた山で、原点に戻るという意味で・・・。

鈴木 孝一  昭和60(1985)年 三工20回卒

@1 尾瀬ヶ原周遊のコース。3年の夏に連れて行っていただいた楽しく美しいきれいな山行で
した。
 2 谷川岳。下山の際に予定していたロープウェーが点検のために運休になり、ロープウェーの
下の急斜面を雨の中下山した。帰りは楽かと思ったら予想外の変更でへとへとでした。
 3 石小屋沢(漢字これでよかったかな?)。シルバーザッテルからの下山だったでしょうか。沢
下りで死にかけたこと。きらきら光る水面を見ながら水中に引き込まれる中、こうやって死ぬんだな〜と思いました。なぜかあまり苦しくなく変に覚悟していました。でも水面に浮いてきた時は必死に吉田先生にしがみつきましたね。おかげで助かりました。

Aありません。卒業した翌年に重荷について行ったのが最後でした。あとは時々尾瀬に散策に・・・

Bとりあえず富士山でしょうか。やはり日本一の山頂に立ってみたいですね。

先生方、OB会の方たちにはいつも大変お世話になっています。ありがとうございます。
山はすっかりご無沙汰です。
時々清水集落の近くに行くと小屋を見に覗いたり、雲天に立ち寄ったりしています。
14年勤務した会社を5年前に脱サラしました。自然形体療法という療法を学び独立開業して20年11月で5年になります。お陰様で家内も3年前に仕事をやめ、今年くらいから少し仕事を手伝ってくれればと思っています。昨年から同じ療法を各地でやっている仲間6人と「手技ネット」という組織を立ち上げ、セミナーを開催しはじめました。現在は福岡に毎月行っており、少し忙しくさせていただいております。今はOBの長谷川さんから建てていただきました自宅の一室で仕事をさせていただいておりますが、将来は少し景色の良い所で木の香りのする店をまた長谷川さんから建てていただきたいと夢を描いております。

長谷川 一良 昭和45(1970)年 三工5回卒

もう40周年記念ですか、今はなかなか山に行くことができません。山へ行っていた時代はなぜ山に登るんだろか?といつも疑問を持ちながら答えを見いだせずにいましたのに。登れなくなったら自分自身に変ないいわけをして、そのときは、そこに山があったからさ、とか、どこかの登山家の言ったことばを借りてみたりして、今になって自らの目的のためにいろいろと練習を重ねて来たんだなと実感のわくことしきり。特に三工山岳部で個性の強い先輩にもまれて大人にしてもらい、勉強のほうでは先生に助けてもらい山では良き後輩にめぐまれ、自分の人生にどんだけ役に立っているか、もしあのときこのような出会いが無かったらと思い、今、感謝の気持ちを書いてみたくなりました。学校の名前は変わりましたが、今でも三工山岳部の伝統は受け継がれ多くの後輩が育っていることは喜ばしいことですね。特に吉田先生にはいつもご苦労様でございます。これからもよろしくお願いします。

大山 和俊  平成19(2007)年 県央工3回卒 

皆さん、はじめまして。同期の方はお久しぶりです。2007年度の金沢工業大学に入学いたしました大山です。自由気ままなひとり暮らしを満喫しております。
現在私は夢考房ソーラーカープロジェクトに所属し、講義と合わせ、知識習得に努めております。県央工業山岳部と同じくアットホームな活動で、楽しくもあり、懐かしくもあります。山岳部で得た知識のおかげで、すぐにメンバーに溶け込むことができました。その分忙しく、山に登ることができません。本学の夏季集中講義である白山登山受講以来、体がなまる一方です。
最近地元でも雪が降り積らず、現部員は満足のいく雪上幕営訓練ができず残念な思いをしていることと思います。その分、天気図や炊事の活動を楽しんでください。山岳部で得た知識・経験は今後必ず、役に立ちます。「悪天候ほど楽しい」「山に負けるな」の意味が分かるようになれば立派な山岳部員です。頑張ってください。
最後となりましたが、顧問の吉田先生、今井先生、そして宇佐美先生、私が大学まで行き、学べるのは先生方のおかげです。「難しいほど楽しい」「金工大に負けるな」を目標に頑張っていきます。ありがとうございました。そして今後ともよろしくお願いします。

吉田 光二  昭和46(1971)年 三工6回卒

@巻機山。なんといっても四季をとおして一番たくさん登りました。数えてみませんが。

A今年(2008)の8月の立山合宿が最後になりました。富山県との合同合宿で、雨あれ、晴天あれで良い山でした。

B息子と2人でシャンボチェから眺めたエベレストが忘れられません。また、のんびりと行けるかな?
子供は2人とも社会人になり、孫と楽しく暮らしています。もう、そんな年代です。


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