剱岳早月尾根(2004年)


斎藤 勲

 「7.13新潟、福井水害」以来なりを潜めていた天災は、「10.23新潟中越地震」として再び牙を剥き出しにした。震度5の余震が3週間たった今も続き、山に行くことも儘ならない。ストレスが溜まってくる。「山に行きたい」と渇望する心に浮かんでくるものは、ハードで充実していたこの秋の山行だ。
  早月小屋を出てから1時間。私より軽装の単独行者が登って来る。どんどん距離が詰まってくる。追い抜かれまいと馬鹿な意地を出し、歩みを少し速めるが、朝5時からすでに5時間行動している大腿四頭筋は、言うことを聞いてくれない。疲れも出てきたせいか、10米位登っては一息入れないと続かない。
 2614m峰の手前で追い着かれる。小屋にいたアルバイトのお嬢さんのようだ。見るからに軽そうなバックパックの後に上着を引っ掛けている。
 「先に行って下さい。」
 「馬場島から登って来ると大変でしょう。」と言うと、軽快な足取りで追い越していった。
 小屋のT氏は、今年は10月10日で小屋仕舞いすると、先程言っていた。台風の当たり年の今年は、また台風22号が北上して来ている。平日で登山客もいないので、下山前の僅かな好天を利用して剱岳の頂上へ行くつもりなのだろう。
 日陰には、霜柱と消えずに僅かに残った新雪がある。標高が上がってきているので、半袖シャツで登っていると肌寒い位だ。たまに射す日差しでガスがすこしずつ湧いてきた。雷鳥が風の中で鳴いている。2600mの標高プレートのところで休憩をとる。
  昨年、一昨年の山行で、岐阜の人達は新穂高から奥穂高岳を日帰りで往復し、富山の人達は馬場島から剱岳を日帰りで往復していることを知った。さすが北アルプスの地元と、地の利を羨むとともに、それをこなす体力と持久力に感心した。
 考えてみれば、隣県、見附市の私の家から馬場島まで3時間、半分地元のようなもの。後は、体力維持トレーニングと荷物の軽量化と日常の摂生で、五十代の半ばを過ぎてしまい、一般的には20代の頃と比べれば30%も低下していると言われる私の体力でも、馬場島からの剱岳日帰り往復が可能ではないだろうか。
 昨年10月、Iと初めて試みてみる。普段ロングルートをこなしていないせいで、ヘトヘトになり馬場島に帰着した。朝、出発してから12時間40分経過していた。疲れはしたが、長大な早月尾根から剱岳を一日で往復した喜びは大きく、体力にも自信がついた。そして今年、IにもHにも振られ単独行となった。一つ年をとった分身軽になるよう、軽量化した荷物は6Kg、持って行く煙草も4本だけにし、前夜の飲酒も慎んだ。
  エボシ岩のコルを過ぎ、シシ頭のクサリ場のあたりで、随分先行したと思っていた彼女に追い着く。多少岩登りの心得が有るようで、クサリに頼らず登ろうとして時間がかかっている。「右手でクサリを掴め。」後から指示してやると、その通りに行動しスルリと登っていった。
 「後、もうどれ位かかるでしょう。」時計を見ながら時間を気にしている。客が来ないとはいえ、帰りの時間もいれると半日近くも小屋を離れることに気が引けるのだろう。「もう1時間はかからないと思うよ。」「じゃあ頂上まで行って来よう。」
 カニノハサミのクサリ場では、手袋を脱ぎクサリにしっかり掴まってトラバースして行った。先程よりは随分スムーズだ。「クサリを掴むと、身体が外に振られて怖い。」手袋を履き直しながらつぶやいていた。池ノ谷側から尾根に登って行く。頂上は見えないが、もう随分近い筈だ。
  目の前に別山尾根の白い標識が見え、10分後、剱岳の頂上を踏んだ。馬場島から7時間、10月の平日の剱岳の頂上は、先に登っていた青年と小屋の彼女と私の三人だけだった。ガスっていて、後立山方面も白山も何も見えない。ガスの途切れている長次郎谷を見下ろすと、雪渓の消えた谷の源頭に、八ッ峰上半部が霧に包まれた城砦のようだった。頂上の祠の前には、百年越しの設置で話題となった三角点が、頭の天辺だけ出して埋もれていた。水を一口飲み下山にかかる。
 2614m峰の手前で、池ノ谷側から湧いたガスの上にブロッケン現象がかかる。先行していた彼女に教えてやったが、5秒もしないで消えてしまった。ヨーロッパでは妖怪に例え、日本では阿弥陀の来迎に例えるというが、信心の薄い私にとっては、ただの自然現象に過ぎない。
  早月小屋に戻りコーヒーを頼む。暖かく甘いほろ苦さが、疲れた身体に染み入るようだった。
 「ご馳走様でした。さようなら。」 半日、臨時のパートナーでいてくれてありがとう。楽しかった。
 後の言葉は胸に飲み込んでしまう。T氏が小屋の窓から顔を出す。
 「気をつけて。」
 「来年また来ます。」
 相次ぐ台風の来襲で葉がかなり落ち、去年に比べると随分冴えない紅葉の中を一心に下る。日暮れる前に馬場島に着きたい。
 熊避けのカウベルの音が近づいてきて、小屋仕舞いに向かう人達とすれ違う。人里近くに下りて行き山奥にはいないと思うが、麓の上市町での出没を考えると、今年の秋の早月尾根は熊避けのカウベルが必需品だったかもしれない。
  身体は言うことを聞かないが、日没と競争するように黙々と下る。
 「山にいる時は、何を考えているのか」聞かれることがある。渡って来る風や、遠くに聞こえる沢の音―自然に心を漂わせていたり、自分の心の内面を見つめていたりする事もあるが、無心でいることの方がはるかに多いように思う。
 登山口の「試練と憧れ」の碑の前に降り立った時は、17時40分となり暗くなりかけていた。朝出発してから12時間30分後の帰着である。残っていた100cc位の水を一気に飲み干し、煙草に火をつけ一服するうちに周りは闇に包まれていった。
  あと何年、この自分に課する精神と体力のテストを続けられるだろう。また来年もここから、剱岳の頂に立ちたいものだ。そう思いながら、非日常の一人遊びの世界から日常の暮らしに戻るために、車に乗り込みスターターを回した。

早月尾根上部より剱岳頂上


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