仕事を通して思うこと―民家修復再生事例も含めて―


長谷川一良

 建物で大切なものは地盤、基礎構造(建物の骨格 木がその大部分を占めます)

 ずいぶん昔のこと。ある時私はお客様にこう言われました。「長谷川さん、基礎と材木はしっかりと良いものを使って作って下さい。」と。そこで私は「どうしてですか?」と聞きました。
 「台所の設備などは取り替えできるが、基礎と骨格は建てた後では取り替えることができないから」と言うのが理由でした。「なるほど」と思いました。
 今、私が材木にこだわる理由がここにあります。それも気候風土に合った国産材や地域材の利用です。

適材適所

 大工の言い伝えで「その材料の使われる場所に見合った」という意味の言葉です。
 例えば

土台には・・・・・・・・・クリ、ヒバ(水や湿気に強い)
柱は・・・・・・・・・・・・・杉、桧(気候によるくるいが少ない)
桁・梁は・・・・・・・・・地松、杉、桧
小屋梁・母屋は・・・地松、杉
イラスト
山に生えている状態
谷・・・・・・・・・・・・・・・ヒバ、杉
中腹・・・・・・・・・・・・・桧
峰・・・・・・・・・・・・・・・松

 これらは私が12町歩の山林の持ち主で木も育てていて知ったことです。大事に育てた木を心を込めて使いたい思いもこもっています。

外材利用の弊害

 昨今、日本の気候風土に本来合わない外材の利用が目立ちます。外材を使って、決して悪いと言っているのではありません。大切なのは材料の性質を考えて使用することです。この外材は日本の白アリや腐朽菌に対する耐性に乏しく、かびや腐れ、虫害におかされやすくなっていることが多いのです。薬を使えば良い訳でもありません。薬を使わなくても100年以上持っている古い建物は沢山あります。効率と安さだけに走っていては家づくりの本質を見落とすことになりかねません。日本の材料も決して高いものではありません。むしろ木の育った環境、温潤温暖で冬の雪にも耐えてきた地元の材料は価格には見えにくい良さが隠されているのです。新潟の厳しい気候風土で育った良材を使う家づくりが肝心です。

木の良さ

 コンクリート、鉄、プラスチックは紫外線を反射しますから長い間に違和感を感じてきます。また、断熱調湿作用に乏しく結露も呼び起こします。結露はカビを呼び、気管支ぜんそくなどの健康被害をもたらす場合があります。
 木は、コンクリート、鉄、プラスチックと違って紫外線を吸収しますから、見た感じ違和感を感じません。また、断熱調湿作用があります。木が生きているときは人にとってやさしい成分であるアルファピネネンの香りと殺菌作用のあるフィトンチッドを出しています。これが癒し効果となり人に優しく感じられるのです。だから居心地がいいのです。
 1300年余り息づいてきた日本の木の文化には、それだけの理由(わけ)があるのです。

古材の良さ

 古材でも良い材料だから100年でも持っているのです。中には300年以上のものだってあります。古いから強度がなくなるのでは、と心配がありますが、木は伐られてから200年の間強度を増し続けます。加重や曲げなど様々な強度を考慮しても全く問題はありません。むしろ自然の力でしっかり乾燥された古材は強いばかりか見た目も美しく愛着さえ感じられます。新しい木にはない味わい、今では手に入らない希少価値、歴史的価値も生まれます。たとえ永い歴史の流れで虫が入ったとしても本物だから修理できるのです。大体古材は地域産の材を使っていますからその地の風土に合っている訳です。
 地域の風土に適った材で建てられたからこそ、生き続ける建物がその証なのです。

リフォーム工事でわかったこと

 近年使われはじめた材料が何年持つのか時間を経過しなければわかりませんが、リフォーム工事でわかったことは、古くからの材料はいたんでいないのに近年20年位前にリフォームした部分が先にリフォームしなければならない状態だということです。合板を使っている所はなぜかブカブカしています。古い縁側板がしっかりしているのに合板のフロアーが20年持たないのです。どういうことでしょうか?だから無垢の材料でなければダメだと感じました。

なぜ古材なのか

 100年以上持った材料には、実はその多くは風土にあった地元の木が使われています。古材は地元の木の良さを証明している訳です。
 近年、気候風土に本来合わない外国産材を使って虫害にあったりカビが生えたりしている事例が多く見受けられます。もともと外材など日本には無かったのです。価格と目先の効率だけを考え、適材適所を無視した結果とも言えます。腐れないよう防腐処理を施したとして、仮に材料は100年もっても、果たして人間にとってはどうかという問題が残ります。
 古材の耐久年数は未知数ですから今後のことは解りません。ただ、神社仏閣や古民家は地元の木や国産材が使われていますが、多くの建物が100年以上もっているということは確かなことです。

民家修復再生事例

 大震災に被災しながらも見事に耐え残った古い民家を修復していると、これからの家づくりのあり方を改めて問われているような気もしてきます。「手をかけた分だけ、家は住まい手に応えてくれるものだ」と。

長岡市・お福酒造ご本宅(岸家ご住宅)

 中越地震で被害にあわれた築後240年といわれる江戸時代後期の茅葺き民家で、骨組みと屋根を残しての解体、そして基礎から作り直すという大工事でした。自然災害の力の大きさを感じつつ、遠い昔の職人の木づかい、匠の手技が震災という自然の猛威にも負けていなかったという現実を目にして仕事をさせていただくことで、地元の山の木で、しっかり手をかけて作るという、われわれの進む道の確かさを再確認しました。
 このご住宅は国により2006年11月、登録有形文化財の指定を受けました。

山古志・池谷の家(H邸)

 2004年10月23日に発生した新潟県中越地震。地域の建物の全壊率は100%という状況の中で、屋敷が谷底に崩れ、崩落寸前のところで留まっていた家がありました。
 周囲の悲惨な状況にもかかわらず、伝統構法により、地元の山の木で手間ひまをかけてつくられたその家は、まさに持ち主にとってみれば親の形見のようなもの。木の家は弱い、古いほど危ないと言われながら、まわりの鉄骨の建物や、重いコンクリートの建物よりもはるかに被害が少なかったのです。雪で押し潰されてしまった下屋を取り除き、残った建物の中で間取りの再構成して再生できるのも、伝統の知恵と技でしっかり造られていた木組みの家だったからこそ。地域の景観にしっくりと溶け込んだ家は、持ち主の思い出とともに、震災を乗り越えて受け継がれていくことができました。

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