回想録


高橋小一郎

ボンガイヤ

次高山の麓には
   スケラムの流れに鱒が捕れる
 一度おじゃれよ わがシカヨシャに
 ボンガイヤー ハー ボンガイヤー
   ハー ボンガイヤ
 ナルハ ナイナイヨ ナイナイヨ

イボの葉陰に娘ひとり
   何が悲しうて泣くのやら
 村の祭りも近こうあるに 
   (くりかえし)

月と踊らにゃ娘やれぬ

  ついた粟餅なおやれぬ
 踊れ 踊れよ 粟酒 飲んで 
   (くりかえし)

 この歌は台湾のものらしいが楽譜はない。
 歌詩は山岳会で歌い継がれている。私も秀峰山岳会に入会してから覚えたのです。起源はどうもはっきりとはしないようだ。

チョイナの点滴

 守門岳の「きびたきの小屋」に泊まったときの事である。1954年(昭和29年)だった。
 1尺もあるブナの丸太を燃やしたいのに鉈しかない。しかたがないので鉈で丸太を少しずつ削っては火にくべる。チョウナで削っているようだねと言おうとして、間違ってチョイナと言ってしまった。
 チョウナで「点滴石をもうがつ」とばかり、一晩中鉈でたたき、細ざいてくべたので、この時チョイナの点滴という言葉が生まれた。これは当時の国語の先生に名文句とほめられた。

きびたきの小屋

 守門岳の中腹、保久礼の上部に200m程登ったブナの林の中に、前年10月ヒュッテができ登山者に憩いの場所として喜ばれている。この小屋は野鳥研究家で知られる中西悟堂氏が、かつて登山した時作った歌にちなんで「きびたきの小屋」という名前がつけられた。
 歌は
 「大きブナ並み立つ山は雨とならず きびたきのこゑ一日こもれり」
という格調高いものだった。
 そして翌年、中西氏の筆になる木の額を長岡市の明星学院院長太刀川浩一氏が彫刻、6月には小屋に掲げることになった。
 自然を愛し山を楽しむ中西氏や太刀川氏の美しい心が守門岳の小屋を飾るわけで、木の額は長さ3尺、幅1尺2寸の大きなもの。これをとりもった栃尾市の稲豊さんこと前長岡科学博物館植物部長稲田豊八氏もこれで山小屋がいっそう登山者に愛されることになるだろうと喜んでいた。

きびたき(黄鶲)

 燕雀目の美しい小鳥。雄は背面黒く、下面は黄色で腹の方は白い。春、本邦に渡来し山中の森林で繁殖し、秋、東南アジアに渡る。ウグイス、オオルリと共に日本三鳴鳥である。
 ある時の石小屋沢でオオルリとキビタキの競鳴を見ることができた。石小屋沢の泊り場のすぐ下の谷にへばりついて立っている大きな木の上の枝で、オオルリが上の枝、キビタキが下の枝で鳴き競いながら枝の上へ上へと上がって行くのだ。幸運だった。
 きびたきの姿を真近に見たいものだと願って、妻のかつての実家の下大浦の延命寺の裏山の、割と明るい広葉樹林の中でキビタキの声(よく響く明るい歌声)を追って、遂に真近にきびたきのあの美しい姿を見ることができた。今にして考えるとこれも幸運だった。
 旧制三条女子高校山岳部OG会は「きびたき」の名を冠していた。「きびたき小屋」は若き日の小生にとって想い出多き良い小屋であった。

大きなブナを倒す

 昭和32年だと思う。大沢暁が登山部長だったようだ。守門の「きびたきの小屋」に泊まった時のことだ。早目の夕食を済ました生徒達は腹ごなしの力が余っていた。焚火の木をどんどん作れということで、力のある元気のよい大沢君が小屋の上に向かって直ぐ右上の直径1尺以上もあろうかというブナの大木の根元に鋸を入れ出した。一杯機嫌の顧問はやれやれとはやした。頑張って倒した木は下のブナに二股の幹が倒れ掛かってビクとも動かしようがなくなった。2・3年後にもこの倒れかかったブナを見ると恥じ入ったものである。
 とにかく焚火が大好きで、岩魚釣りでも山行でもよく焚火をした。
 南アルプス、守門、粟、浅草、石小屋沢、北海道、アンナプル街道。
 焚火の想い出はつきないものがある。
 しかし考えて見れば自然破壊したもので、慚愧の至りである。

盆踊り

関温泉で踊る 1951.8.14〜16

 生まれ育った三条では、はずかしくて盆踊りの輪に入ったことがなかったが、級友3人で笹ケ峰から火打を登り神奈山を経て関温泉に下って泊まった宿の2階で飲んだ気分よし。
 月明かりの道で盆踊りが始まった。
 しぶる仲間の尻をたたいて、表に出て様子を見ながら踊りの輪に忍びこんだ。踊っているうちに調子もよくなり、すっかりその気になって坂道を下りまた上りながら、踊り疲れて宿に帰った。楽しかった。

鹿教湯で踊る

 脳梗塞でたおれたリハビリに、脳梗塞リハビリで実績をあげ有名になった長野の鹿教湯温泉に、職場復帰した夏休みに入院した。
 その2年目、入院者の模範生であった。朝の屋上でのラジオ体操をまかされてテープレコーダーを持って屋上で楽しく体操した。そしてお盆となり、盆踊りが始まった。病院の前の大通りを借り切っての踊りの輪が回る。月が出たでたの炭坑節。我らが病棟の美人看護婦さんが浴衣姿で踊っている。これは踊らにゃ損、損と、彼女の後ろについて踊りだした。道は少し坂になっているが、ゆるいのでちょうどよい。踊り出してみればよくみんなの中に入っていける。段々動作もリズムにのって大きくなり楽しいもんだ。
 門限ぎりぎりまで踊って病室に帰った。思えば、月も満月だった。そしてその後の盆歌は、丸子まんまるだった。美人看護婦さんの柳腰について廻った盆踊りだった。
 その翌年(3年目)入院を申し込んだが、あなたはもう良いというので断られた。
それから何年か。30年過ぎて妻と訪れた。すっかり様変わりして美人看護婦さんも院長さんもリハビリ職員も皆いない。浦島太郎の気分だった。平成17年8月に。


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