カンチュンピークBCにて


斎藤 勲

 20時20分、月明かりの中、岩陰で用足しを終えて、再びシュラフに潜り込む。寒暖計を覗き込むと、マイナス3℃を示している。そんなに寒くは無いのだが、なかなか眠りが訪れてこない、何度も無用な寝返りを打つ。
寝る前に、冬用の厚い靴下に替えてあるが、足先が少し寒いようだ。月明かりでほの明るいテントの中、ザックからアクリルの半袖セーターを引っ張り出し足先に巻きつけてみる。体温で温まってくるまでには、未だ少し時間がかかるだろう。

  ここは標高5235m、東西をモレーンに挟まれたようなカンチュンピークのBCのテントの中である。テントは一人一張。また、私のテントは、他のテントから5m位離して設営されている。パクディンに宿泊して以来、悩まされているイビキ対策でガイドにお願いしたものだ。お陰で雑音は聞こえず静かである。
 ナムチェバザールを出発してから、高度順応のため、高度差で一日に500m以上登らない。そのため、午前中には一日の行動を終っていたが、今日はBC着13時25分。その後、散歩を兼ねて、一人でモレーンの稜線経由でカンチュン氷河まで偵察に行き、何時もより少しは疲れている筈だ。しかし眠りは訪れない。
 BCの手前、標高5200m地点では、エベレストとローツェにかかる雲が美しかった。その残像を瞼の裏に浮かべてみる。かえって目が冴えてきて逆効果であった。
BCでは標高5000mを越えたため、皆申し合わせた様に、「自己責任タイム」と称して、今まで愉しみにしていた夕食前の食前酒は遠慮した。もしかするとアルコール依存症で、酒を飲まないと眠れないのだろうか?
夕食は、コックのジバンが腕を振るったもので、生姜入りのカレーシチュー、サラダ、ライスであった。今までのロッジの食事と違い格段に美味しかった。夕食後は、カップにたっぷりのミルクティーだ。お代りをして500cc位飲む。

  半袖セーターを巻いたため、足先は少しずつ温まってきているようだが、眠りは訪れて来ない。今まで、そんな経験は無いが、一日位眠らなくてもどうという事は無いと思うことにする。そして、無用な寝返りを打つ。

  今思っても、どうにも仕方の無い事が頭に浮かんでくる。
 留守番をしている老母のこと、別れて久しい娘のこと、明後日の氷河の登攀のこと、東京の株式市況のこと、四日後に見られるであろうエベレストの夕陽のこと、二週間前のゴサインクンドの美しかった山々と花々と湖、元気で働いているであろう彼女と小生意気な孫達、今まで見てきて思い出せないでいる山の名前のこと、十二月から振り込まれる年金のこと・・・・・。

  脈絡の無い思いが、頭の中を断片的によぎる。脈絡の無い場面が、瞼の裏側を通り過ぎる。そして、いよいよ頭が冴えてくる。

  0時42分。寒暖計はマイナス5℃を示している。冷え込んで来ているようだ。
 気持ちを紛らす為、煙草に火をつける。
 二週間前のゴサインクンドでは、シンゴンパ(3250m)からゴサインクンド(4350m)まで、一日に標高差で1100m登ったら、頭がふらつき、立眩みするなどの高山病の症状が出た。
 クーンブへ来てからは、半日で行動が終了しても、高度順応のため、一人で近くの山を2〜300m登り身体を慣らして来ているのだが、もしかしたら、眠れないのは高山病の症状なのかも知れない。そう思うと、明日の氷河の登攀のことが心配になり、いよいよ寝付けなくなる。

  そろそろ5時になろうとしている。少しはウトウトしていたのだろうか。テントの外は連日の快晴の朝だ。テントで横になってから二度目の便意を催し、少し遠くの岩陰にしゃがみこむ。そして思い当たった。「これは、昨晩のミルクティーのせいだ。」
 夕食後、多量に飲んだミルクティーのカフェインのせいで眠れなかったのだ。高所で体調が変わっているせいもあろうが、二度も便意を覚えるのもカフェインのいたずらなのかも知れない。
 朝食と昼食をBCで摂り、寝不足でぼーっとした頭でハイキャンプへ移動した。
 その日の夕食の後は、お茶はやめミルクにした。カフェイン類を飲まなかったため、シュラフに入ってからは、前後不覚に本当に良く眠れた。一緒のテントだったF氏は私のイビキで迷惑だったかもしれない。
 翌日は、迷路のようなカンチュン氷河を標高5500mまで登り、クレパスに行く手を阻まれ中途退却。今回のクーンブでの登攀を終えた。
 そして、前日悩まされた不眠の症状は、それからもう二度とくることは無かった。

カンチュンピークBCへ向かう  カンチュン東峰(右)と西峰(左)


カンチュン氷河の登攀


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