金子先生と山行歌集


S43年卒(3回生) 渡辺 五郎

 書斎の本棚に大切な宝物がある。それは私が過ごした山岳部、3年間の部活の思い出がたくさん詰まっている山行歌集だ。今では見かけられないガリ版刷、ホチキスの針が錆で浮き上がっている。時折、思い出し本棚からそっと取り出し歌を口ずさむことがある。

 金子先生からは社会科を教わったが山岳部の山行でのテント泊で多くの歌を習った。授業より先生から歌を習い皆でテントの中や焚火を囲んで歌った思い出が大きいのだ。


山行歌集、第1集から第3集

 3年間毎年作られた歌集、左下の第3集は表紙を含めて中の多くの歌詞の字の形が金子先生の物では無い。部員が書いたか誰が書いたか思い出せない。誰か知っていた人がいましたら教えてください。

 第2集は私が社会人になり暫くしてから今は亡き母が実家の本棚から見つけて「五郎の懐かしい山の唄本送ります。」のコメントを裏面に書き送ってくれたものでありそれも一つの思い出である。


ページを開いた歌集

 上から2冊目は第3集、「シーハイルの歌」と「ライダーズ・イン・ザ・スカイ」、3冊目は第2集、「富士山見たら」と「山家育ち」。
 紙面の縁の変色が時の経過を教えてくれる。

 私の2年生の時に始めたにスキー合宿、年末に当時の妙高国際スキー場で数日過ごした。スキー場の外れで張った雪の上のテント、夕飯が終わり冷たいシュラフに入る前に箸をタクト代わりに振り汗をかく程歌いシュラフに潜った。
 最終日のテントの撤収時に気が付いた事だが我々が炊事に使っていた流水にホテルからの水が混ざっていた。済んでしまった事なので「ワーッ」と皆で叫んで諦めて麓の杉の沢に滑り下りた。

 金子先生から教わったのは歌だけではない。山の花も多く教えて頂いた。特に夏山合宿、7月の末、花の開花期と重なり手帳に教わった名前を記入、自宅に戻り図鑑で再確認をした。
 これが今の山行を豊かにしてくれている。夏は雨の中の歩きでもあれこれ花を見つけることが楽しい。秋になり夏に見た実をつけた草や木の姿を見るのもまた楽しい。


ライダーズ・イン・ザ・スカイ

 昨年のОB会で金子先生の声で聴いた「ライダーズ・イン・ザ・スカイ」、私が習ったままのリズムだった。

 「ライダーズ・イン・ザ・スカイ」、この歌は良く歌った。「雪山讃歌」や「山男の歌」は定番だが「わが山小屋」、「山の友よ」、「おやじゆずりのチロル帽」、「エーデルワイスの歌」、「いつかある日」、「山の一日」、「放浪の歌」そして「一日の終り」等々私の好きな歌だ。

 当時、夏休みが40日位あったが3年生の時に休みの前半にアルバイトをした。今では考えられないが1日働いて500円、20日働いて2万円余りを手にした私は自転車で東北と関東を回った。何日かして十和田湖に着き湖畔のキャンプ場でテント泊、どこからか山の歌声が聞こえて来た。
 その後、奥入瀬渓流を下り4号線を南下、宮城県の白石付近から蔵王の東面がよく見えた。その時自転車のペタルを漕ぎながら「蔵王エコーズ」を何回も歌った。

 「歌声喫茶」に行ったことがない私だが山スキーを共にしている仲間に山の歌が好きな者が数名おり泊りの時は必ず歌集と共に酒盛りとなる。その時私が歌声喫茶のリーダー役となり割り箸を振ることが多い。

 福島市の吾妻スカイラインの桶沼の近くに吾妻小舎がある、毎年夏に市内の合唱団主催のランプコンサートがある。昨年は小舎の管理人であった知人の追悼コンサートとなりその後半は「皆で歌おう」の時間となり60〜70名位となる参加者で多くの歌を歌った。うれしいことに山の歌はまだまだ健在なのだ。


シーハイルの歌

 山の仲間と一昨年に青森の岩木山に山スキーに行き宿で歌った。私はこの歌を岩木山の麓で歌いたかったのだ。大満足(私のだけか?)の山旅だった。歌詞にある梵珠嶺、阿闍羅は大鰐温泉にある山と知り阿闍羅山は地図で確認できた。いつか登ってみたい山だ。

 昭和24年生まれの私は今年の夏で63歳になる。健康体と自覚しているが子に負担をかけたくないと思うようになり少し早いが「身辺整理」を進めている。今まで使わなかった物、これから使わない物等を整理しているのだがこの3冊の歌集は残るであろう。


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