和田草(わだそう)の咲く縦走路


斎藤 勲

 梅雨の中休みの七月上旬の平日、私は一人で土樽・茂倉岳・武能岳・蓬峠・土樽と辿る周回縦走をしていた。朝六時前から登り始める。静かなブナ林を抜け、檜の木の根が張り出した急な道を登ってゆく。矢場の頭を越えるとニッコウキスゲ、コバイケイソウ、ウサギギク、ミヤマキンポウゲなどが道の脇に咲きだして、つらい登りを飽きさせない。
 まだ残雪が残る茂倉岳頂上直下の避難小屋の裏手の沢で冷たくて美味しい水を一掬い飲む。頂上までもう一頑張りして、九時四三分茂倉岳頂上の標石の土台に腰を下ろす。ここまでに一人の登山者にも会わない静かな朝の山頂である。

 四十七年前の年末、吹雪でホワイトアウトのこの茂倉岳頂上で四人の仲間と幕営した。ナイロン製の防寒具をまとい、嵩張る化繊綿の寝袋で寝た。雪雲の中で雑音の多い携帯ラジオで紅白歌合戦を聞いた。風雪をついて用足しに天幕の外へ出るのに非常な決意を要したが、ただ笑い飛ばしてすませた。若さがあったのだ。翌日は谷川岳への縦走を諦めて、バリバリに凍りついた天幕は一番若い私が担ぎ、トレースが全く消えた尾根を腰までのラッセルをして土樽へ必死の思いで下山した。
 また、四十四年前の五月初めには白毛門から谷川岳への縦走で今回とは逆方向からこの山頂を通過した。前日の行動中、宿泊地の蓬峠を目前に、睡眠不足と疲労により休憩で腰を降ろしたとたんに、不覚にもしばらく寝てしまった。蓬峠では小屋の中に泊まったような気がする。
当時は岩登りの盛んな世相であった。私も先輩に導かれながら、また自分自身でリードして一ノ倉沢、幽ノ沢、マチガ沢の無雪期の各岩壁のルートに足跡を残した。私の登山が輝いていた時期である。その当時から今日まで谷川連峰の縦走は数度しかしていない。それゆえ今回の縦走は全く新鮮な思いがする。
休憩の後、四十四年ぶりの茂倉岳頂上を後に次の目標地点武能岳へと向かう。上越国境稜線の越後側は晴れているが、上州側は一面の雲に覆われて何も見えない。稜線上も濃い霧の中である。

 その白い五弁の花は、茂倉岳から武能岳へ向かう霧の中の縦走路の左側にひっそりとしかし個性をしっかり主張して咲いていた。花に目が向いたのは見たこともない花だったし、雄シベが赤褐色で特徴的だったからだろう。
 写真を撮って、帰宅後花の名を調べた。私の所有する文庫版の図鑑では掲載の種類が少なすぎて該当する花は見当たらなかった。図書館の大きな図鑑で調べたらナデシコ科ワチガイソウ属ワダソウとのことであった。「和田草」の名前は、信州和田峠に因むとのことだ。図鑑で調べたことで記憶に残る花の一つになった。この山行の収穫である。

 矢場の頭から茂倉岳間は花が多かったが、茂倉岳から武能岳間もそれに勝る花の縦走路であった。ヨツバシオガマ、タカネナデシコ、タテヤマリンドウなどが次々と現れる。眺望が全くきかず、人影も見えない縦走路を辿る単独行者を慰めてくれた。
武能岳直下の岩場の急な登りをこなして頂上に立つ。十一時三十分である。頂上の標識も霧に煙っている。東風が強く、霧にも包まれ涼しくて汗もかかない。マイペースで歩いているので疲れもほとんど感じない。休憩せず蓬峠へと向かう。
 蓬峠への道を下ると低灌木は笹原に変り、今まで楽しんできた山の花々との出会いも終わったようだ。若者が一人登ってくる。今日、山に入って始めて会う人間である。ここまでわずか半日の一人旅だったが人を見るのが懐かしく感じる。今朝、土合から白毛門、朝日岳と縦走してきて、谷川岳経由で土合に降りるとのことだ。いわゆる馬蹄形縦走を一日でこなす人が増えているようだ。羨ましくも恐るべき健脚ぶりである。若さがなせる技なのだろう。

 十二時十八分、蓬峠に到着する。峠の上空はわずかな青空がのぞいていた。蓬ヒュッテのオーナーのT氏は干しあげた小屋の寝具の寝袋を取りこむのに忙しい。土合へ下りる道の両脇にはコバイケイソウが満開に咲いている。
 小屋の前に休む三人パーティも、後で到着した若い女性の単独行者も皆、馬蹄形一日縦走の人達だった。元気な若者達に比べ行動範囲の狭まった老人は肩身が狭い。
今日歩いた道のりは思いもよらず良いルートであった。このルートを選定したのは、年々落ちてくる体力に合わせてのことだった。十年前早期退職してからほんの少しハードなルートを登ってきたが、剱岳を早月尾根から往復する日帰り山行は二年前にやめ、中ノ岳・兎岳・丹後山の日帰り縦走は今年からやめた。年を追うごとに所要時間が増えてきて十三時間を超えてしまった。もう自分には限界である。身体が年貢の納め時を知っていて、その声に従ったのだが寂しい思いがした。今日は余裕をもって縦走をこなせたこのルートも、何年か後には体力がさらに衰えて諦める時が必ずくる。そしてそのかなり先には人生の終焉が待っているのだ。
 蓬ヒュッテの脇で、今日三回目の休憩を取ってから土樽へ下山を始める。峠の越後側は青空で日差しが暑い。峠のすぐ下には水場が二ヶ所あり、冷たい水で喉を潤おせてありがたい。土樽への下山路は、水害、雪害で痛んでいる所もあるが、いかにも古道の風格が漂う場所が多い。古い時代にタイムスリップしたような気持ちで木洩れ日の道に歩みを進める。
もう峠道も終わり車道も近づいた頃「土樽駅までなら車が三時に迎えに来るから乗せてゆくよ」と背後から声がかかった。いつ追いついたのか、蓬ヒュッテのオーナーT氏であった。「ありがたいが、茂倉の登山口に車を停めてあるので結構です」  T氏にとっての私は不特定多数の一人だが、私はT氏の顔は良く知っている。「Tさんも年をとったね。いくつになられた」「六十四歳になったよ」「小屋はいくつの歳までやるつもりですか」「七十歳くらいまでは大丈夫だろう」小屋の経営者にも高齢化の波は押し寄せてきているのだ。

 今日は私好みの静かな山旅ができた。来年もまた花の時期に、国境稜線の縦走路にひっそりと咲く「和田草」を見に登ってきたいものだ。十五時十分、この日の充実した山行を終えた。西からの日差しが強くなり木々の緑が光っていた。


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