ダンプスピーク


斎藤 勲

 雪田が途絶えると、西稜支稜までいかにも登り辛そうな岩屑が積もった斜面が続いていた。シェルパのテクは、アイゼンを脱ぐように私に言うと、自分の身支度を終え、三十センチ位の手頃な大きさの岩を見つけてきて雪田の端に立てた。帰り道で薄暗くなった時の目印にする為だろう。
 ネパールのカリガンダキ右岸、林檎林の美しいマルファの村から十q北西のダンプスパスに近い標高約五千mのキャンプ地からの出発が八時四十分と遅く、手元の高度計で五千四百mのここまで二時間半近くかかっている。日本を出国前に読んだ資料では、キャンプ地から頂上までの参考時間は七時間二十分となっていた。往復十時間と見積もると、帰着時間は十九時頃となる。帰り道の心配をするのも頷ける。
 雪田の途中で、一緒に登ってきたT氏、F氏が登頂を諦めると、頂上を目指すのは私とテクだけになった。スタート直後は、テクに遅れまいと頑張ったが、すぐにそれはとても無理なことと分った。試みに頑張って登れる歩数を数えてみる。四十歩がやっとである。血中酸素濃度の不足の為だろう運動能力が落ち脚が上がらなくなる。呼吸を整え、身体に酸素を回す為、数分間立ったまま休む。そしてまた四十歩、また休む。そんな繰り返しで、二時間半ここまで登ってきたのだ。少しでも長く休む為、テクにシガレットを差し出す。雪田の途中で、テクの噛みタバコの袋が空になったのを私はしっかりと見ていたのだ。
 五千m付近には雲が湧いてきた。雪田の下の方は雲で覆われ見えなくなった。紫煙をくゆらす時間はすぐに終わり、岩屑が積もった斜面の辛い登りが始まった。アイゼンの爪を効かせられた雪田の登りとは違い、一歩踏み出す毎に、緩い足場がズルズルと十センチもずり下がる。歯がゆいほど能率が悪く、ひどく疲れる。こんな斜面では、二十数歩を数えて登るのがやっとである。間近に見えてきた西稜支稜の稜線が遠のくように感じられる。果たして頂上まで行き着けるのであろうか。不吉な思いが頭の中をよぎる。
 ジグザグを切り、喘ぎながら一時間四十分の苦闘で岩屑の斜面を登りきる。十二時四十分、西稜支稜の稜線に出る。手元の高度計で五千六百mを越えている。私には未知の高度である。稜線の北斜面には、四十センチ程の高さのペニテントスノーの三角帽子が一つ一つ影を落としながら広がっていた。始めて見る雪の造形現象だが大自然の奇異を感じる。日差しは暖かいが荒涼とした風景である。昨年登ったカンチュン氷河の輻射熱が懐かしく思い出される。西の彼方を見ると、湧き出した雲を突き抜けてダウラギリとツクチェピークが聳え立っている。
 テクがザックから二十mザイルを取り出した。ハーネスを着けアンザイレンする。ここからはコンテニュアスでの登りとなる。初めのうちはザイルをループにして手元に持っていたが、次第にテクの足に追い着けなくなり、その分ループから少しずつザイルを繰り出してゆく。そしてついには、ザイルが伸びきり、再三テクの足並みを止めるようになった。一歩踏み出す毎にずり下がる岩屑の斜面よりは登りやすくなったが、高度が増した影響が出てきているのだろう。
 四十m位の高さの岩場の前に出る。傾斜は急ではないがスタカットで登ることになる。テクが登る間、確保の姿勢は取るが登るのが休めるので楽になる。テクは軽やかな身のこなしでどんどん登って行く。ザイルがぐんぐん手元から繰り出される。
 三十七年間勤務した会社を事情で早期退職した頃から、六十歳位になるまでにはネパールの六千m峰を登りたいという思いが芽生え、その思いは、平成十六年七月の「新潟豪雨」で車が水没し新車に入れ替えたり、同年十月の「中越大震災」で家が半壊になり翌年建替えたりといった、不意で大きな出費を伴った自然災害を経ても、萎むことはなく次第に膨らんできていた。人間の思いというものは、少しくらい打ちのめされても消えることは無いものらしい。

 テクに確保され登り出す。簡単で短い岩場だが、随分久しぶりの岩登りに心も浮き立つようだ。体調は悪くない。岩場でのバランスもすぐ昔に戻る。そう自分に言い聞かせながら岩を掴み脚を上げる。三ピッチで岩場は終わり、暫く稜線を辿ると西稜主稜に合流し傾斜の緩い雪稜となる。北斜面の雪の吹き溜まりを過ぎると、広い尾根の先にはもう高い所はなかった。
 平成二十年十月二十日十四時四十分、六時間十分の登高を経て、ダンプスピーク六千三十五mの渇望していた頂に立つ。微風が吹き、晴れて穏やかな山頂であった。日焼けした黒い顔に白い歯を覗かせ微笑んでいるテクと握手を交わし抱き合う。身体を洗う習慣のないネパール人独特の体臭と沁みついた煙草の匂いが漂ってきた。T氏から借りてきた日本とネパールの国旗をピッケルに付け、六十一歳の日本のおじさんと四十七歳のシェルパと記念写真を撮りあう。薄くて小さなジャム付チャパティ一個が朝食後始めての食事だ。高度障害のせいか、行動中殆ど空腹を感じなかった。テクが時計を見ながら帰りの時間を気にしている。三十分だけ登頂の喜びにひたったのち下山にかかった。
 下りは登りの苦しさがうそのように楽に動けた。四十mの岩場だけテクに後から確保されながら下り、ザイルを仕舞うと西稜支稜を駆け下った。雪田に最も近い所で左に下り雪の上に降り立つ。雪面の下りはクッションが効くので、岩尾根の下りよりはるかに楽に下れる。アイゼンは付けず、靴底で滑り降りたり、駆け降りたりしながらぐんぐん高度を下げてゆく。もうキャンプ地も近ずいてきた。風の向きで聞こえないかも知れないが、「おーい」と大声でコールしてみる。「おーい。頂上に登って、今、無事に帰ったぞ。」のつもりである。
 登りは六時間かかったところを、一時間半で下りきった。エネルギーの枯渇と身体の芯からの疲労を感じながらキャンプ地に着くと、昼前に湧いた雲の下は雪が降ったらしくテントには薄っすらと雪がのっていた。メンバー、スタッフ全員がテントから出て迎えてくれた。一人一人と喜びの握手を交わす。ザックを肩から降ろし、お茶代わりの熱いホットレモンを一口飲むと、改めて喜びがこみ上げてきて瞼の裏が潤んでくるのを感じた。テントの周りはもう薄暗くなりかけていた。今、一つの憧れが結実した。


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